イシャガ、
サジヲ、
ナゲタ。
蒸し暑い日だった。
混み合った発達小児科の待合室は、怒涛のように押し寄せる喧騒の波に沈んだ。泣く子、走る子、奇声を発する子、咳き込み苦しそうに母親にしがみつく子など、まるで子供の見本市のような光景に飲まれ私は、目だけをキョロキョロと空にさまよわせるばかりだった。
隣に座っていた同年くらいの母親が抱える子は異様に大きく、その大きさがただ羨ましかった。
「何ヶ月ですか?
大きくていいですね。」
「八ヶ月です。
薬のせいで太っているのです。」
太ッテイルノデス。
薬ノセイデ。
やがて、時計は二つの針を重ねて過ぎる。
飢えてなく赤児をあやしごまかし俯きながら、三時間も待ち続けただろうか、いつのまにか人気はなく、遠くで咳き込む子供の声だけが響いていた。
何かわからない、不安とも予感ともつかない、けれどなんだか嫌なシンと静まり返った待合室の、よどんだ空気に縛り付けられたような錯覚。何も考えてはいないはずなのに、頭の中で何かが堂々巡りしている。それは、体の奥底から響いてくる私自身の声だったのかもしれない。
薄いカーテンの向こう側でカルテを読む声が不機嫌に吐き捨てられる。医者も暑いのだ。今日は誰もが暑いのだ。
薄いカーテン一枚が今は世界を分断する。
医学という名を語ることで、その正当性を顕示する研究心の塊は、このカーテンの向こう側で獲物がかかるのを、舌なめずりして待っているのだ。
呼ばれて開ければ、張りついた笑顔が迎え入れる。
イシャガ、
イッタ。
コノ子ハオソラク脳性マヒデショウ。
コノ手足ノ堅イ緊張ガソノ特徴デス。
又ハ、染色体ノ異常モ考エラレマスガ、ソレハ検査ヲシナケレバ分カリマセン。
ドチラニシロ、正常デハアリマセン。
オソラク脳性マヒデショウ。
脳性マヒデス。
脳性マヒデス。
脳性マヒデス。
蒸し暑い日だった。
じっとりとした汗が、体中を縛り上げ蝕んでいくような気味の悪さ。
どこまでも白い壁からは、行き場のない無念にもがく無数の手が伸びてくる。助けを求めても助からず、助からず助けを求め、それを内包しながらもなお、この白い巨体は冷たく拒絶する。
長イ夢ヲ見テイルノダ。
幻覚カラ醒メレバ、キット風ガ吹ク。
両ノ足ハ、チャント地ニツイテイルカ?
抱イテイル赤児ハ、タダノ肉隗デハナカッタカ?
今年ハ何年ダッタロウ。今日ハ何日ダ?
私ハ今、何処ニイルノダ?
何ヲシテイルノダッタ?
もしかしたらと、そっと振り返る。
けれど、そこはやはり先ほどまでと同じの、もはや誰もいなくなった発達小児科の待合室だった。
込み上げてくる腹立たしさに震えながら、静かな静かな待合室で神を思う。
神がいたのはこの世界ではなかったか?
どの世界であったか?
その世界へ行こう。この子を連れて。
天にも地にも、閉ざされた絶望だけが残るここから出て行くのだ。
誰に止められるものか。
この子が笑ってくれるのなら私は、何処まででも行こう。
この子が笑ってくれるのなら。
この子が笑ってくれるのなら。
この子が笑ってくれるのなら。
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